2017年11月20日月曜日

コラム 116  無風

樹々の葉がそよりとも揺れない。
枯葉のすれ合う音もない。
 完全なる無風。
2017112日のことである。
遠くから野鳥の声がかすかに聞こえてくる。
この静けさに合わせたように下を流れる瀬も、声を潜めている。
黄昏時の静寂。
久しく山の生活をしているが、こんな日にはなかなかめぐり合わないものだ。 


一瞬、風が通り抜けた。
サワサワサワッ。
まもなく枝と別れる枯葉達が揺れた。

2017年11月13日月曜日

コラム 115  人生  

これにも なじめず
  あれにも なじめず・・・・・
と言っている内に、人生終わり。
 私淑する人間も持たず
   座右の書をも持たず・・・・・
小ざかしいことを言っている内に、人生終わり。 

こんなことなら
 懸命に学び取ること、活かすこと。

2017年11月6日月曜日

コラム 114  野鳥達

空中から飛び降りてきて
  エサ台にピタリと止まる

バランスをくずして尻もちをついたり、
足を踏みはずしてつんのめったりすることも無い。
野鳥達は内村航平以上だよ。

2017年10月30日月曜日

コラム 113  夕焼  

7月下旬に山中入りしてから約1ヶ月後の826日土曜日、この夏はじめての夕焼空を見た。
今年の夏は雨々々の連続で、まるで梅雨月のようであった。見慣れていたはずの夕焼は心が夕焼色に染まる程美しかった。 


都市社会に生きていると、こうした深遠な静寂に包まれることがほとんど無い。そんな中では自然への畏敬の念を抱くことも少ないだろう。人間存在の大きさも、小ささも胸に迫ってくることは無いだろう。心の動脈硬化症!・・・・・ふとそんな言葉が胸を過(よぎ)った。 

827日日曜日の朝は気温が12度まで下った。知らぬ間に、もう秋が近づいている。

2017年10月23日月曜日

コラム 112  少し政治的な話を・・・・・   

こんなに頭のよさそうな人がそろっているのに、人も秩序も経済もさっぱりよくなっていかないのはなぜなのだろう。 

話している特に政治家達の顔をじっと見る。
あぁ、なるほど・・・・・
 みんな〝自分は頭のいい人間だ〟と思い込んでいる。
 みんな〝自分は正しいことを言う人間だ〟と思い込んでいる。
 みんな〝自分は人間が出来ている〟と思い込んでいる。
だから人の話を聞かない。人の話に耳を傾けない。みんなの知恵と力を合わせなければ何もできないというのに・・・・・。
 自分だけでは何もできない、自分達だけでは不十分だ、と思わないから連携が生まれない。相手も同様に思っているから協力も生まれない。その代わりに生まれるものは、対立と抗争だ。昔から何も変わらない。 

本当に頭がよくて、本当に出来た人なら、人の話をよく聞き、人の話によく耳を傾けるだろう。そう出来ないというのは実際はそうではないのに、そうだと思いこんでいるせいだ。偉くもないのに偉くなった人間はみんなそうだ。耳を傾け、よく聴けば立つ瀬が無くなる……だから思い込むしかないのだ。これは頭の良し悪しというより人間の器量・度量の問題だ。 

出来ていない人間が人の話を聞かずにどうするというのだろう。
私は思う。政治家も、それを選ぶ国民も、教育者も事業家も〝まずは人間づくり〟を人生の屋台骨に据えなければ、この国は益々危ういことになっていく。そして、やがて再び戦の時を迎えるだろう。真の自分を見誤ることほど怖ろしいことはない。 


「国民の皆さんの・・・・・」
政治家達はよくこの言葉を使う。
国民の皆さんの切なる願いは・・・・・
 国民の皆さんの求めているところは・・・・・
 国民の皆様の意見にしっかりと耳を傾け・・・・・
日本は民主国家である(ということになっている)からこうした言動におかしなところは無いのだが、間違えてはならない。民主国家とは大衆国家のことではない。単に賛成多数で物事が決まっていくなら、それは明らかに民主主義ではなく、大衆主義というべきだ。もしそれで良しとするなら、前提に少なくとも大衆の中に正しい民衆の眼があることが条件だ。もしそれは適わぬことであるというならば、少数意見の中に正しい民衆の意見を見ることが必要である。
多くの政治家達の胸の内に「民主」という言葉はどのように写っているのであろう・・・・・この言葉だけが空虚に空を舞っている。

2017年10月16日月曜日

コラム 111  人の道 その⑤ 物心一体   

旅には捨てる直前の下着類を持ち、その場その場で捨てて来ると言う。洗わなくていいし、持ち帰る手間も省けて合理的じゃないか、ということらしい。
だが、私は仮に使い古したものであっても、旅先でそのまま使い捨てという気分にはなれない。破れたり、擦り切れたりしてもう限界を迎えた時でも、必ず洗濯し、感謝の念を込めて、それから処分する。
こんなことは人間として当り前のことだと思っていたが、こんな風に思う人は年々減っているらしい。これも使い捨て時代の影響だろうか。
今まで長く世話になってきたものだ。捨てる前に清めの塩を振ってとまではいかないが、もう用無しとばかりにゴミ箱にポイ捨てではどうも心が許さない。人としてのあるべき姿からどこか外れているからなのだろうと思う。 

 
今年の二月にスキー部(住まい塾にはスキー部がある)の合宿で訪れた志賀高原・丸池ホテルのレストランでは金継ぎ補修された器が少なからず使われていて、経営者の人柄と器への思い入れが感じられて爽快だった。
よきものを選び、愛着をもって使い、粗相の無いように扱う。これはモノに対する人間側の最低限の礼儀である。高価なものであろうと、安価なものであろうと気に入って使い始めたら最後までよきつき合いをしたいものだ。物心一体という言葉が甦ってきた。

2017年10月9日月曜日

コラム 110   

もっと生きなさい と言われたら
そのようにし
早くこちらに来なさい と言われたら
そのようにし
すべて 天の意思まかせ
許されている限りのせいいっぱい
そんな気分でいつもいる。

 怠惰な人生は いけないよ。