2017年9月18日月曜日

コラム 107  一汁一菜魚一っ切れ  

最初に断っておくが、一汁一菜を一椀の汁と一種類の菜っ葉だと思っている人がいるようだが、菜は前菜の菜・惣菜の菜であり、おかずの意味である。 

私の山中での朝食は一汁一菜とまではいかずともほとんどそれに近く、一汁一菜魚一っ切れ、といったところだ、こうした生活が自分には合っているらしく、約一ヶ月の間に体重が3キロは減り、肉体・精神共に良好な状態を保つ。


毎日食いたいだけ食って、飲みたいだけ飲んで精神修養ができない理屈はないが、それは無理だ、と私は体験上思う。少なくとも飲食は慎み深くなければ精神の修養にはならないだろう。
聖職者に妻帯を許さぬ宗派は少なくない。シスターに至っては夫帯が許されないということになるのだが、これなど神に己を捧げる身であるとか、淫に陥りやすいなどの理由からだけでなく、飲食という一点からだけでも頷けるものがある。 

妻がいて、あるいは夫がいて、家族がいて一汁一菜という訳にはどうにもいかないのである。いかに侘びた境地に達していても、客と家族がモリモリ食べている脇で、一人離れたちゃぶ台でポツンと一汁一菜の生活を続ける訳にもいかない。もしもそんなことをしたなら〝あのぅ・・・・・お宅糖尿病ですか?〟などと言われるのが落ちだ。
覚悟があってのことなら別だが、いかに精神にいいとは判っていても会食に毎度一汁一菜ではそれこそ〝冷エ・凍ミ・侘ビ・枯レ〟の合わさった侘びしい心境にもなるだろう。 

このように考えると、精神生活というものは余程の偉人でもない限り独りで居る時間を確保しなければなかなかむずかしいものだ、と思えてくる。それがほとんど失われている現代にあっては尚更である。それ以上に忙しい、忙しいと言っている内に、我々は独りでいられない人間になってしまっているのではないか。現代人の精神の衰えはこのことと深く関係しているのではないかと思う。

2017年9月11日月曜日

コラム 106  電話の問題、もうひとつ  

山小屋の電話を約30年振りに替えた。子機ひとつのきわめて素朴かつシンプルなものだったが、子機をうっかり雨に濡らして使えなくしてしまった。子機だけ買い換えれば済むのかと思ったら親機共々交換しなければならないことが判って、子機二台のものに替えた。極力シンプルなものをと選んだが、以前に比べれば随分多機能だ。

その中に着信履歴という機能がある。何せここは山小屋なのだから一定期間しか居ない。よって留守中の電話がすべて着信履歴として残り、それを知らせる赤ランプが点灯するようになっている。 


見なければいいようなものだが、赤ランプが気になって、一通り着信履歴を見る。
留守中の10日間に14回かかってきたものがあった。いったいどこからだろうと、これもよせばいいのに電話をしてみたら〝NTT光回線に関する案内〟だという。これをストーカー行為とは呼ばないけれど、いくら何でも10日間に14回とは私の感覚でいえばストーカーに近い。以前にも書いたが電話帳に載せてもいないのにかかって来る不思議さ。これなどまさしくNTTの職権乱用ではないのか?

 他の営業電話にも、どうしてここの番号が判ったのか?と聞けば決まってこう返ってくる。

〝我々はただ回ってきたリストを見ながら掛けているだけですから・・・・・〟

 私はさらに追い討ちをかける。

“どこから回ってきたのか?〟

 何やら国会答弁のようだが、この手をしばらく続けていたら、営業電話はどこからも来なくなった。 

静かな山小屋(とはいっても向こうには山だか谷だかわからないのだが・・・・・)にまで、電話での営業攻勢ではたまらない。一度通信販売で取り寄せたりすると、お得意様でもないのに〝これはお得意様限定の案内〟だと電話がかかってくる。以前はこの手に弱かったが、もうその手には乗らない。私は知恵者になったのだ。
それにしても放っておけば山中の、しかも夜の9時過ぎまで追いかけて来るこの「かたっぱし電話」の無法状態に、何か規制のルールが必要なのではないか?

2017年9月4日月曜日

コラム 105  便利も考えものだ  

私の山小屋には電話が無いことになっている。あっても掛けるだけの電話であって、外からは通じないのだといえば、そんな都合のいい電話があるのかと訝(いぶか)りながらも信じてくれた。
だが、最近は掛けるだけのはずが、かけた先から電話がかかってくる。留守のはずだった先方がなぜ私の電話を・・・・・?。 教えてもいない電話を相手が知っている・・・・・。 


最初は不思議だった。
こんな調子で掛ける度にこちらの番号が割れたのだから、静寂の中に暮らすはずの生活が、だいぶ始末の悪いことになってしまった。
私のような心境の者はそう多くはないようで、相手も電話があるんだからと、掛けることに何ら躊躇(ちゅうちょ)が無い。
こういう類の人間には「非通知」といって、かける前に184(イ・ヤ・ヨ?―きっとそうだ!)を押す手段が備わっているという。私に言わせれば、通知したい人のみが114(イイヨ)か何かを押すというのが真っ当なあり方だと思うが、便利を喜ぶ世の中にそういう文句を言う人はもう大勢を占めないのだろう。
こちらが望んでもいないのに、掛けた先すべてに知れるというのでは腹立たしいし、第一これなどプライバシーの侵害に当たるのではないかと思う。それにこちらが掛けているのに「非通知」とは、どこか失礼な感がつきまとう。幼い頃の〝卑怯者、名を名乗れ!〟の名残りであるか。 

いずれにせよ、この手の便利は際限なく突き進む。
  〝Docomo かしこも ケータイ電話〟
なんて言ってるうちに、すっかり
  〝メール メールで 気がMail
時代になってしまった。
人間こんな調子で、ほんとうに幸せに向かっていくんだろうか?
まるで静寂を欠いた世の中にあって、今これを守ろうとすれば余程の決心と覚悟と策が要る。

2017年8月28日月曜日

コラム 104  気温って一体何なのだろう―その②  

かつて神奈川県逗子市の山中に小さな家を依頼された時にも同じことを感じたものだった。駅を降り立ってコンクリートの道を歩いて行った時のあのジリジリとした暑さ!しかし山道に入っててくてく登って行った先の森の中の涼しさは驚きだった。
標高にして100メートルも差はなかったに違いない。あの時も思ったものだ。〝今日の逗子の気温〟とはいったい何なのだろう・・・・・と。 


考えてみれば街とか都市とか呼ばれているところは、この樹々や森を粗方失くしてしまった所といっていい。今回の調査に見るように、緑を失えば街は急激に熱くなるのである。
年々暑くなるのは地球規模での環境の変化であって、我々個々人の日常生活に大した責任は無いと思われているかもしれないが果たしてそうだろうか。
樹々を失わしめたのも人間であれば、夏ともなれば超高層ビルといわず、おびただしい数の建物、商店、住宅、それに車や電車、バスに至るまで、こぞって膨大なエネルギーの熱風を吐き出し続けている。これらすべてが人為である。
暑くなる原因を自ら作り出しながら暑くてたまらないとさらに冷房を加速させる。冷房とは外にあっては歴とした暖房なのである。この悪循環をどこかで断ち切らなければ、この不快な人工現象は止まるところを知らないことになる。
エアコン一台の代わりに一本の樹木を!
しかも落葉広葉樹を中心に・・・・・。この活動に街ぐるみ、地域ぐるみで持続的に取り組んでいくなら、やがて街に夏には葉を広げて涼気を運び、冬には葉を落として陽光を迎え入れることが出来る。樹々達は、季節感と共に人々に安らぎを約束するだろう。
隣家の落葉に苦情を申し入れるより、お互いにそれを許容し合ってあちこちの雑木がつながっていくならば、やがて街全体が雑木に包まれることになるだろう。山中で描いた私の夢であり、救いがたい悪循環への実現可能な試みの提案である。

2017年8月21日月曜日

コラム 103  気温って一体何なのだろう―その①  


  私の山小屋は八ヶ岳の中腹、標高にして1600メートルの地点にある。都市に比べれば別天地のように涼しく、夏の盛りにあっても樹々に覆われた敷地内は25度を超えることは無い。
だが同じ地点でも樹々の皆伐された敷地内に立てば軽く30度を越す。長く暮らしてみて分かるのは樹々の影響の大きさである。
地球の温暖化の影響か、この辺りも年々気温が上昇し、加えて住人も増えて樹々の減少、森の消失がさらにこの傾向に拍車を掛けている。 







 

この夏、私はひとつの調査を試みた。
8月9日水曜日、晴天とはいえ雲が所々に残る日である。
調査時刻は午後1時から2時。方法は1.5メートル程の棒の先と足元に寒暖計を取り付けての測定である。
山小屋の室温は21.0度。樹々に覆われた私の敷地内気温は24.0度であった。
次に樹々がすっかり伐り倒されてぽっかり空の空いた区画に移動。温度はたちまち36.5度にまで上昇した。ここで意外だったのは、下草で覆われている地面付近の温度が39.5度と、予想以上に高かったことである。
因みにアスファルト舗装された道路ではどれ位あるものかと置いてみたが、温度は大して変わらず日向では36.0度、木陰では30.0度であった。すぐ脇の砂利道もほぼ同じ35.5度、木陰では26.5度となった。
同じ標高の山中でも、状況によってこれ程の温度差が生じるのである。気温の定義はともかくも、その場・その街の気温とはいったい何なのだろうと思われた。 

さらに同じ寒暖計を標高にして500600メートル程下った富士見町のスーパーマーケットの駐車場に持ち込んでみた。標高差と気温の関係は100メートルにつき0.6度というから、それだけでいうなら34度上昇するはずである。だが、驚いたことにここでは私の敷地内より18度上昇し、42.0度にまで達したのである。
ここに結果を整理すると以下のようになる。 

<標高1600メートル>    ・私の山小屋の室温                      21.0 度  ――
 ・樹木に覆われた私の敷地内  24.0度( 23.0度 )
 ・樹木が殆ど失われた敷地内  36.5度( 39.5度 )
 ・舗装道路面         36.0度( 38.0度 )
 ・未舗装(砂利)道路面      35.5度( 37.0度 )
<標高1000メートル>   ・スーパーマーケットの駐車場 42.0度( 42.0度 )
                          (   )内は地面付近の温度

                                   ― つづく ―

2017年8月14日月曜日

コラム 102  器の扱い  

古備前の手付菓子鉢を、その把手を摑(つか)んで箱からぐいと引き上げて取り出し、ある茶人に叱られた。この茶人とは故北澤建設会長の北澤一丸氏である。〝最近いい道具入りましたか〟などと時々楽しみ合っていたのである。
〝ハァ~、茶をやっている方とは思えませんねえ・・・・・!〟
いかに把手があっても把手を持つものではないらしい。大事に、粗相の無いように付け根付近に手を添えて、おもむろに引き出すのが茶人の心得だ、というのである。 

この菓子鉢を山小屋に持ち込んで、しばらく出窓に飾っておいた。
ある日、近くの別荘に住んで親しいTさんがやってきた。このTさん、生まれも育ちも葛飾柴又で、葛飾柴又といえばあの寅さんで全国的に名を馳せたところである。柴又の仲間達が数人遊びに来るから連れてきていいか、と言うのである。
 
 
やがてにぎやかな御一行がやってきた。
私はこんな小さな小屋にようこそ・・・・・などと上町言葉で迎え、今茶を入れますからごゆっくり・・・・・とリビングにお通し(といってもリビングしか部屋は無いのだけれど)した。
茶を入れて持っていって驚いた。足を組んで椅子に腰掛け、出窓に飾っておいたあの古備前の菓子鉢を運んでしっかり灰皿にしてしまっているではないか!私は一瞬寅さんの映画を観ているような気分になった。
不届き者!とも言えないし、こちらで、と私は座卓の方に茶をすすめた。そしたらこの寅さん、手付の菓子鉢ならぬ灰皿を把手を握ってぷらんぷらんとぶら下げて、そして座卓の上にゴツンと音を立てて置いた。
向かいに座った小料理屋(居酒屋だったかな?)の女将が、それを見てすかさず言った。 

〝まあ、灰皿ひとつにまでこっているんですねえ・・・・・〟 

(よわい)70にもなろうかというこの居酒屋の女性が、じっと私を見る。
そしてほろ酔いかげんになった頃、ポロリと言った。 

〝アタシ、最初お会いした時ビックリしちゃった・・・・・
 アタシの初恋の人と、そっくりなんですもの・・・・・〟
 
こうしてこの日は、忘れようにも忘れられない想い出の一夜となったのだった。


2017年8月7日月曜日

コラム 101  「戦争」以前に「喧嘩」は無くなるのか? その②  

キジバトが朝からケンカを繰り返しています。昔から幾度も幾度も同じことの繰り返しです。長年調停役を務めてきましたが、その甲斐全く無し。
エサはたっぷりあるんだから、エサの奪い合いじゃないんですね。縄張り争いですか?〝おい、俺の島に勝手に入るんじゃねえ!〟ちょっとヤクザですね。
それとも雌の奪い合い?――〝俺のスケに近寄るんじゃねえ!ちょっかい出すんじゃねえぞ!〟こんな調子ですかね・・・・・これもかなりのヤクザですね。
してみると、人間のヤクザって稼業はいたって自然発生的なものかもしれません。
根っからの暴力団はイケマセンけれども、私は任侠ヤクザと割りと肌も気も合うところがあって・・・・・おぉ危ない危ない、あの人は元ヤクザと交流があったなんて騒がれなければいいのですが・・・・・。 

 
「人間性善説」「人間性悪説」とて今日までなかなか決着がつかないのは、どう見ても現実の人間は両側面を兼ね備えていると見えるからなのでしょう。
仲よく、と言ったって
兄弟ゲンカは絶えない。
遺産相続のモメゴトはおきる。
敷地境界、タイル一枚のことでいさかいが起きる。
 決心無しのなりゆきまかせでは、喧嘩も絶えない、戦争も絶えないことになる。
 決心したってあぶないものです。 

 だから〝永遠に戦争を放棄する〟と日本民族が決心したということは実にどえらいことなんです。
 これを少しずつ少しずつ娑婆の論理、普通の論理に近づけていこう、とは多少勇ましく見えても、やはり喧嘩の絶えない、戦さの絶えない世界に確実に近づいていくことになる。
 永遠に戦争放棄を誓った日本国憲法の第9条にノーベル平和賞を!とは実はまだ生ぬるい――「宇宙平和賞」でもあれば、それをこそあげたいものです。これを持続的に実現していくためには、人間の摂理をのり越えていかなければならないのですから・・・・・。